松ヶ崎〜宝ヶ池間 旧道狐坂2007/12/27

国土地理院 航空写真 整理番号 CKK-74-15 C2-8の一部を切り取り画像処理を施した。

上の航空写真を見ていただきたい。
これは昭和49年に撮影された京都市北部の航空写真です。
一部を画像処理にて付け加えたが、ここには現在新道が造られ、青線のようなバイパス(狐坂高架橋)が存在します。
これは旧道、赤線を見ていただくと分かると思うが、巾が7mしかなく大型車などではヘアピンカ−ブの離合が困難であったため造られた経緯が有ります。
詳しくはこ こを見ていただきたい。
しかし、ここ5〜6年間この坂を通った事の無かった私は、久々に狐坂に行って、あのきつい登りを体験してみようか、と思った。
そうそう、そう言えばあの坂は新しいバイパスが出来てたと言ってたね・・・。
じゃ、旧道は廃道化されてるかもしれないし、久々の藪歩きか・・・と思っていた。
この日は朝、仕事が終わってからは何も予定が入っていなかったので、即、松ヶ崎に向かった。
尚この撮影より新型デジタルカメラ”GR DIGITAL”を実戦投入した。
なかなか使いやすくて重宝しそうだ。

ここを左に曲がれば深泥が池や上賀茂方面に抜けられる。
しかし、今日は・・・・ホントに年末!?
めっちゃくちゃ暖かいんですけどっ!。
服、二重に着ていると、汗だくだくなんですけど!。
手袋無しでも走れるんですけど・・・。
この日、京都市の最高気温は14℃だった・・・・・・。
 はっきり言って、半袖でも走ろうと思えば走れる気温だった。
なのに何でワタクシ、ジャンバ−着てるの・・・。
季節外れの暖かさを感じつつ、道なりに進む。
宝ヶ池通りは1965年、昭和40年に市内と、岩倉地区を結ぶ直結道路として造られた。
東は白川通りと面している。
後で通る宝池隧道と共に造られたのであろう。
それまでは主に深泥が池や八瀬方面からの道が利用されていたらしい。
確かにこのル−トで道を造るとほぼ最短距離になるが、旧道はさすがに勾配の急さにヘアピンカ−ブを挟むことで勾配をなだらかにし、市内に接続していた。
だが、狐坂のヘアピンカ−ブは結構きつかった。
特にカ−ブの内側ではかなりの急勾配になり、おまけに曲率半径も小さかったのではないだろうか。
更に歩道が無く、自動車がびゅんびゅんと走り抜けていく場所であったため、自転車ではかなり走りにくかった記憶もあった。

この辺りから道は曲がり始める。
道路のアスファルトも真新しいとまでは行かないが、かなり新しい。
いよいよ登りだな〜、と思って進むと・・・・・E”・・・・。

Oh!!、道、あったらしぃ〜
しかも結構な標識の山。

先ずは蛇行と斜度の標識。斜度は7%だそうだ。そこそこ急な坂道であろうが、まだまだ。
このあいだ見た、こ−んなか らすると、まだまだ、ぜんっぜんなだらか見える。
遠目で撮影したって・・・

まだまだ坂全体が全部写り込む。傾斜が緩やかであるためだ。ちなみに新道は延長600mで、内340mは橋梁で造られている。
また、航空写真を見ていただいても分かるように、京都の夏の終わりを告げる風物詩、五山の送り火の”妙”があるためにその下を走るこの通りの橋梁は通常の ものと比べて2割程度橋脚を細くしてあるそうだ。
所で、ここの五山の送り火は・・・薪、運びやすそうだね・・・。上から順次降ろすやり方かな・・・。
舟山の舟形は前日に麓のゴルフ場から2tダンプ2台に薪を満載して中腹まで一気に運び上げるやりかたである。
そんなことを考えつつ進むと・・・。

Oh、旧道は歩行者用の道路になったの!?
標識の後ろに続く道。
これが、旧宝ヶ池通りになる。
ここから2箇所のカ−ブで宝ヶ池方面に抜けた。
最後の一箇所は有名(!?)な狐坂のヘアピンカ−ブであり、自転車で上ると、結構苦労した覚えがある。
旧道=廃道、久々のちょっとした藪歩き・・・この時点で、その計算は脆くも崩れ去ってしまった。
着てきたジャンバ−も用無しであった。(いや、これは後で助かったんですけど)

掲げられている標識は最高速度40km 追い越し禁止、歩行者通行止、自転車通行止。
当然であろう項目が、さも当然に掲げられている。
まあ、ここまでは分かるよ。
けどその大八車通行止ってのは何?!。
こんな所まで人力車もやっては来ないよ。
白川や、東山、平安神宮近辺じゃああるまいし。
 それに、少なくとも走ってくる車、皆60kmは出していると思うのだが・・・。
ここの南がちょうど宝ヶ池球技場になる。
ラグビ−の試合での利用が多いと聞くが、実は一回も行ったことはない。
あんまり縁がないものなんで・・・。
しっかし・・・綺麗になったな〜。
ここら辺、歩道もなくそのまま路肩が、山の地肌だった。
夏にはそれらの木々が車道側に繁ってきたりして、自転車での通行は結構嫌なものだったが。
けど植樹もされて、綺麗になった。

今 新道が〜出来て〜綺麗になったぁ〜
昔よりぃ〜ずっとぉ〜綺麗になったぁ〜 Noriko作

と訳の分からない替え歌を口ずさんでしまった私であった。

旧道は自転車歩行者専用道になって、ゆっくりと高度を上げ始める。
しかも、全然なだらかに、だ。
何という優しい傾斜か!!。
こんな所に比べて。
これであれば、立ち漕ぎをせずとも、十分に上っていける。
徐々に車道専用の新道は勾配を上げていく。
ゆっくりとだが、確実に。
一方、旧道のこちら側はまだまだ、緩やかな勾配。

そして新道の橋梁部分が始まり、左はその銘板。
オリエンタル建設株式会社
調べてみたがオリエンタル建設株式会社と言うのは今はオリエンタル白石株式会社となっているようだ。
トップペ−ジの一番上に"「オリエンタル建設株式会社」と「株式会社白石」は、10月1日をもって合併し「オリエンタル白石株式会社」としてスタートしま した。”とある。
おそらくこの会社であろう。
残念ながら、実績の項目にこの工事は掲載されていなかった。

橋脚は細いのか、これ。
別に普通だと思うのだが・・・、この辺りから旧道は北に向かって徐々に高度を上げていく。
あ−なんて贅沢なサイクリング日和なんだ。年末、こんな時間にサイクリングできるなんて。

この左側には墓地が広がっている。
泉涌寺とあった。
さすがに写真撮影はしていない。
年末であるから、お墓の周りを綺麗に清掃していらっしゃる方が多かった。
さて、この辺りで新道は旧道上を橋梁で通過していく。

なんか・・・・美しい。
脚線美曲線美とでも言うのだろうか。
自然界ではあまりない”弧”が見事にこの道から見るとあっている。
この辺りはちょうど旧道の中間地点。
現役時代の道であれば、傾斜のきつさが目立ち始めてきた辺りだった。
だが、旧道となった今では優しくなった。
依然、立ち漕ぎなどとは無縁の傾斜である。

このような形で旧道は新道の下を抜けていく。
新道の橋梁が旧道の上を通過している。
と言う表現の方が正解か。
と言うか、旧道でも、そこそこ登ってきてはいるんだね。
結構高低差がある。
そして、旧道は現道当時にあったヘアピンカ−ブへと向かう。

橋を潜るとほんの少しずつではあるが傾斜が付き始める。
それでも微々たるものである。
これ、紅葉していた時期に走ってみたかったぞ。
この落ち葉の量からして結構綺麗じゃないだろうか。
広葉樹の落ち葉ばっかりだったから。

キタッ・・・・って、全然テンション上がらない。
いや、上げなくても良い。
上げる必要さえない。
しかも、あのそこそこきつかったヘアピンカ−ブは見事に解消されているのではないか?、この具合からすると。
これが、かつての狐坂ヘアピンカ−ブの跡である。
もう、ここに車が入ってくることは、通常は、無い。
役割を終えた道は、(比較の対象とはならないが)万世大路のようにはならなかった。
道は生まれ変わった。
歩行者を通すための道として。
この道が現道時代は自転車で宝ヶ池まで行くのでも結構怖かった。
途中の狐坂までの登りと、狐坂のヘアピンカ−ブ、そしてそこから宝池隧道手前までの登り、それらが、行く理由をためらわせていた。
今から考えると、やっぱり曲率半径はそこそこ小さかったのではないだろうか?。
写真を撮っていないのが悔やまれる。
 何度も言うが、この道は優しくなった。
歩行者にも、自転車にも。
全くなだらかに、傾斜をうち消している道。(傾斜が全くないわけではない。あるが、以前に比べると、かなりなだらかになっている)

ヘアピンカ−ブを抜けると道は徐々に昔の面影を取り戻す。
傾斜は4%前後ぐらいか。
何かこう、こういう風景、めっちゃ好きなんですけど。

下りは自転車で通行する場合は非常に快適だろう、昼間は。
雪や雨が降っていなければ。
夜間はあんまり走りたくないな〜。
このように快調に下って行かれる自転車。

まあ、確かにその通りだよね。
快適になったからと言って自転車のスピ−ドが上がって歩行者が通りにくくなったのでは意味がない。
自転車で通行される方はスピ−ドは控えめにね。

そして、現道の合流付近まで、一気に駆け上る。
この石垣あったっけ・・・現道時代に・・・・。
たぶんこの苔のむし方であれば、あったんだろうとは思うけど・・。

そんなことを考えているうちに、旧道は現道の歩道に接続。
ここまで、歩いても10分はかからないでしょう。
坂の付け根、旧道の入り口からしても。
なんか、最初思っていた感じとは全く正反対の素晴らしい出来の旧道、になっていました。

こちら側にもありました。傾斜7%とカ−ブの標識が。
ちなみに撮影中に、いきがったおじさんが自転車で新道を降りていきました。
一瞬目が合って、”にかっ”とされましたが、これぐらいの坂で”にかっ”、っとするぐらいならこちらの坂を下りていくときにしていただきたい。
それこそ、あの坂へ”にかっ”とされて、あのスピ−ドで降りて行かれたら、私は拍手します。
降りきったところへ行って”恐怖に堪えてよく頑張った、感動したっ!!”と声をかけるに違いありません。

冬ですから、一応塩化カルシウムの袋がおいてあります。
いつも思うのですが、これ、通行者の手でまかないとだめなわけですよね。
通行者がいないと、これ、一体、何時、誰の手でまかれるのでしょうか?
いつも春先まで、こういった袋は使われることもなく、中が湿気ってかちかちになった姿で、そのまま回収されていくのを見かけるのですが。
行政は一体何を考えているのでしょう?。

その奥、宝池隧道と宝ヶ池公園との分岐点手前にバス停があります。
”京都バス 宝ヶ池公園前”とあります。
日中ですが、結構ひんやりし始めました、この辺りは。
ここも、バスに乗っている人なんか、見かけたことがないバス停です。
みんな地下鉄使うからな〜、行きも帰りも。
ちなみにここから奥に進むと。

ここが分岐点になる。左側に進むと、宝池隧道を経て岩倉に、右に進むと宝ヶ池公園に。
ここでは久々に宝池隧道に行ってみよう。
ちなみに、宝池隧道、宝池隧道と言っているが、宝ヶ池隧道の間違いじゃないのか?。
と言われそうですが、私も、最初は宝ヶ池隧道と思っていたクチです。
けど仕方が無いじゃないですか。
隧道の銘板に”宝池隧道”と、堂々と記されているのですから。
そちらを使わないわけにはいかないじゃないですか。

遠景から、近景。
・・結構重厚な造りですね、これ。
何故か教会にあるパイプオルガンのイメ−ジが頭に浮かびました。
何でかはわからないけど(パイプオルガンの曲で私の好きなのはバッハさんのBWV 582)

で、これが、隧道左側の壁にはめ込まれた銘板。
ねっ、”宝ヶ池隧道”じゃなく”宝池隧道”と書かれているでしょ。

こちらは諸元標。
こちらも宝池隧道と記されている。
無いか無いかと探していたら、隧道右側の壁面に嵌め込まれていました。
   宝池隧道
竣工 1965年10月
建造 京都市建設局
施工 太成建設K、K
延長 265m 幅員 10.7m
1965年と言ったら、昭和40年。
おお、福島の13号線、栗子トンネルも1966年竣工、ほぼ同年代。

広々とした入り口と、ゆったりとした内部。
十分快適に通行できるのではないか。
車も、歩行者も。

内部も非常に広々。ちゃんとナトリウム灯がついており、隧道内をオレンジ色の光で照らしている。
現役隧道であるから、当たり前なのだが、ちゃんと通行できる。
ちなみに私が生涯初めて通った廃隧道(崩落隧道を含む)は京都市右京区 愛宕山にある廃線ケ−ブルカ−の廃隧道です。
あれほど、廃隧道の恐怖と、魅力、と言うものを感じたときは無かった。
人によって造られたものは、人の手を放れてしまうと、あっという間に自然の力に負かされてしまう。
その微妙なバランス、危なげな魅力と言うものに触れてしまったのだろうか。

ちゃんと歩行者にも配慮している・・・かどうかはわからないが、とりあえず、歩道も人間一人が通行する分には十分な巾があるし、通行できないと言うこと はない。
福島市の国道13号線、大滝第一トンネルのように歩道が無く、路肩には排水溝があって、自転車や歩行者は車道を行かざるを得ない、と言う隧道からすれば大 違いである。
・・・えっ?、車の音がうるさい?。
いいじゃないですか、車がまともに通れる隧道なんだから。
喧噪があった方がいいよ。
隧道内が暗い?、いいじゃないですか、明かりの落ちた隧道よりも。
こんなこんな隧道になってしまったら終わりですよ、ほんとに。
車はおろか人まで通らなくなったら、隧道は死んだも同然。
こんなに車が通って、喧噪があった方がまだいいのかもしれません。
(ただ栗子トンネルのように長すぎるのは勘弁)


歩いたって、あっという間に出口に到達する。
ここから坂を下れば、岩倉の市街地へと続く。

結構山を削って造られた隧道のようである。
右側はコンクリが打ってあるし、隧道入り口の両脇は道のために割ってある。

この隧道を通るのが怖いと言われる方は、是非、隣接する宝ヶ池公園を通って欲しい。(昼間は)
非常に整備された公園で、このように宝ヶ池から対岸を望めば、比叡山や京都国際会議場が一望できる。
また池の周りには、散策する場所も充実しており散歩するだけでも十分楽しめる。
お勧めです。

狐坂の旧道は、歩行者用道路として生まれ変わっていた。
それも誇らしげに、車道規格の道幅のままに、である。
車がもう、この道を、ヘアピンカ−ブを通ると言うことは、まず無い。
旧道化された、と思って藪歩き用の衣服を着てきた私の目的は、あっけなく崩れてしまったのであった。
さすがに、この道だけでは全然レポ−トにならないと思ったにので慌てて、宝池隧道を含めた。取って付けたようになってしまったのはこのためだ。
そしてこの後、私はもう一つ行こうと思っていた場所へと向か うことになった。

松ヶ崎〜宝ヶ池間 旧道狐坂 了

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