三の橋川(プレ検索) 2009/06/29
国土地理院 航空写真 整理番号 CKK-74-7 地図番号NI53-14-3 撮影コ−スC3 写真番号5の一部を切り取り画像処理を施した。
原図はこ ちら


さて、やってまいりました三の橋川。
約一年ぶりの探訪ですが・・・まあ何もかわってないですよね・・・入り口にバリケ−ドでも作られていたら嫌ですけど・・・^^
しかし梅雨の只中でうまく晴れてくれました。
気温30度(=O=;)、暑い夏の日差しがさんさんと照りつけるなか、私は完全武装(黒のトップスとパンツ)という一種異様な胃で立ちでここ、三の橋川と 鴨川の合流点にやってまりました。
・・・死ぬほど暑いよ・・・これ。
で、早速完全武装するのであります。

あ〜〜〜〜〜つ〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜(TOT)
端から見たら多分すごく異様な光景、だってこの暑いのに真っ黒な長袖長ズボン、その上長靴(^_^;)
ちなみに私、足のサイズがすごく小さくて24.0でまだ大きいのであります、この長靴もぶかぶかであります(TT)
リクエスト通り清水音羽川で履いた長靴をここでも使って、川を遡行することにします。

入り口には何もない・・・ほっ(^o^)、ここでバリケ−ドなんかがあったらいきなり退却しました!、で、このレポは終わりになるところだったので、良 かった良かった(^^)v。
しかし・・・なんか新しいね・・・コンクリ−トもそうだけど・・・。
そうか・・・これ、阪神高速京都線の入り口を作るために師団街道を拡張したんだ・・・だからここの部分は新しくなっているのかも知れないね・・・
 とすると・・・内部も全面改装かっ!!・・・
一抹の不安を抱えつつも奥へと進む、ちなみに隧道内は外からのが真新しいコンクリ−トに反射してライトが要らないぐらいに明るい。

見える範囲で奥まで見えるのが20mぐらいで、そこから先は屈曲しているのか見通せない、しかし当然風が通っているため貫通は確定・・・貫通してないと怖 いよ、逆に(^^;)
水は温かくもなく冷たくもないく・・・・変な臭いはしない(^o^)ってか、こんなところで、卵の腐ったような臭いはやめてください(TOT)
水深はごく浅いものの、少しぬめりのある河床部で、普通の靴で入るのは少々危険。
しかし、この真上を師団街道が通っていて、一日に何千台という車が通行していることを考えると・・・なんかすごいところに河川があった、そしてそれをもう 無理矢理にこじつけたような感じがするのがこの三の橋川の鴨川合流点。

暗がりになってきたので、ライトを付けると・・・。
いきなりの段差かい(^^)。
落差1mほどの滝となっていて、その滝の先で北東側に振っているのが解りました。
いきなりの滝・・・まあ、水量もないし横に雨水合水用のパイプ管があったので、そこに手をかけて上る。
よっと。
よくよく考えたら、この段差で十分バリケ−ドの役目は果たせると思います・・・私みたいな特殊で変な奴をのぞけば十分効果がありますよ(^^)

いきなり高さが半分になる隧道、ここからはしゃがみ歩きの世界です。 先程の段差から10mぐらいの範囲は両側にコンクリ−ト製の石組がある箇所になっていました。
けど、ストロボを炊いて撮影した瞬間、先にあるものが見通せてしまったのです。
何この隧道は?、コンクリ四面、次にコンクリ4面(側面は石組ふうに加工)、そしてその奥は・・・・煉瓦?!(ΣoΣ)

オイオイ・・・これって・・・もしかして煉瓦積みの側面・・・まさか作った当時のままが残されてるの?ここ(ΣoΣ)
 いきなり天井が低くなる・・・ということは、間違いない。
この部分が琵琶湖疎水河床部を貫いている部分だ!(^o^)/。
しかしあの位置から少し上って、さらに段差があって・・・琵琶湖疎水河床部の底を貫いているとはいえ・・・いくら何でも薄すぎない?
だって冬期、琵琶湖疎水の未使用時期に他の場所を見たことがあるんだけど、深さは3m程度だったような気がします。
 いくら合流部が鴨川から1m以内の高低差であっても・・・正直薄すぎる。
下手をすると河床部の厚さは30cmを切ってるような気がするよ・・・。

やっぱり天井からの漏水がある・・・それも、後半部分からは結構漏れてるよ・・
この部分の隧道は立って歩くことは出来ずにしゃがんで歩くことになりますが・・正直こあい(^^)
この上には少なくともほぼ満水期の琵琶湖疎水が流れているはずなのです・・・万が一圧壊なんて事があったら・・・。
合流部へ向かって鉄砲水が吹き出すでしょうね・・・(−O−;)無論その下にいた人間は・・・・どう考えても無事では済まない(^O^;)
横の煉瓦ですがこれは・・・・イギリス積み、つまり煉瓦を一列横向きに積んでその次に煉瓦を一列縦向きに積んで・・・で組み合わされている積み方、という か工法です。
 しかもこの河床部から斜めに積み上げられたコンクリは何なんですか?、煉瓦の積み上げ方を見ているのに・・・無粋なこと限りなし!!(^^)。
・・・けどちょっとまってよ、煉瓦積みって明治時代に主に作られたはずだよね・・・とすると・・・まさかこの部分の煉瓦積みって・・・・琵琶湖疎水完成当 時のまま・・・か!?
1890年、琵琶湖疎水が竣工した当時からこの三の橋川は疎水の下を抜けていた・・・とすれば築100年Over!!!(ΣOΣ)。
 なんかすごいんだけど、銘板や変額の類がないため、事実は闇の中です(ToT)。

そして、琵琶湖疎水河床部の出口が近くなるにつれて・・・漏れてます・・・(^^)。
盛大とは言えないものの、見事に漏れてますよ、奥さん^^。
 この漏れ具合、天井部からの出水・・・琵琶湖疎水が漏れてるんでしょ、これ。
 リアルで ε=ε=(۶⊙∀⊙)۶ ヒャッハー!! 状態。
天井部を見るとコンクリ−ト製の柱のようなものが隙間無くこの琵琶湖疎水河床部にあたる箇所には敷き詰められているようですが、漏水はそのコンクリ−ト製 の柱状物の間から起こってました。
水道局?かなこう言ったことの担当は、思いっきり漏れはじめてるよこの隧道、針みたいな水漏れでも、そこに圧力がかかればやがては圧壊する危険性は十分あ るからね・・・・。
補修管理ヨロピクお願いします(^^)
そしておそろおそる漏水部を避けて通ると・・・すぐそこに出口が見える・・・・この見え方・・・やはりあそこみたい。
もう少し、あと少し で出口・・・さすがに早く出たい^^。


でたっす(^^)
なるる・・・こんなにすぼまってたら溢れませんか?^^、この場所で。
言ってしまったら、これ、壁に開いた穴と同じ状況ですよ、断面積に対して圧倒的に隧道の面積が少ない・・・大丈夫なんかな、これは^^
けど結構圧迫感のある隧道でしたよ、この三の橋川の最下流部にある隧道は、琵琶湖疎水の真下というのがインパクト大!!
・・・もう一回戻ってって言われたら・・・戻りたくない(TT)だって怖いもん^^。

振り返ってもう一枚。

さて、これで師団街道と琵琶湖疎水は潜った^^。
この後に解っているだけで3つの隧道が存在する事も解ってる。
追々・・・というか、それらを「とりあえず」抜けるのが今回のプレ検索の目的、この河川全部は今の時間帯からでは無理なので、今回は行けるところまで。
疎水を潜ってすぐに現れる段差、これに似たものを鴨川でも、修学院音羽川でも見かけます。
これの目的はいろいろありますが、その主たるものは水の勢いを殺す(弱める)こと。
傾斜にしてしまえば確かに費用も何もかからないかも知れませんが、大雨の後の一時水で被害が出ることもありますから、傾斜のきつい山地からの河川や鴨川な どはこういった段差をもうけて、一種の緩衝帯のような使い方をしています。
河床部より(2009/06/29) 上部より(2008/07/13)
こんな感じで段差がついています。
で、この辺りの河床部の眺めは、ほぼ都市河川ですね、可もなく不可もなく。
では早速進んでいきます。

段差はそれぞれ70cm程度かな、それが三段続いています。河床部は・・・コンクリ−トで、正真正面三面コンクリ−トの都市河川です。
 一番嫌なのはこの河川、脱出不能の状況なんですよ、両側にはコンクリ−トの壁、さらにそれに続く私有地・・・。
万が一雨でも降り出したら非常に危険な河川、それがこの三の橋川です。
脳内で赤色灯がまわって「アラート、アラート、ノーエスケープ」と、いんぐりっしゅが聞こえて参りました。

見上げる空。
あなったわ〜 くものかげにぃ〜 河川の跡を追いかけてて〜^^
何とか言うメロディ−はやっぱり思いついた^^。
両岸から「くず」が大量発生していますね、クズコロンで根本から枯らせることが出来るのですけど、こんなマトン群落になってしまうと打つ手なし^^。
しかも今日真っ黒な服装で来ているので・・・お願いだからスズメバチはこないでね^^、きたら一回刺されている身として、アナフィラキシ−ショックで死ぬ かも知れないから^^
そんな心配をよそに、私に接近してくるアシナガバチ・・・・。
・・・マヂでびっくりしたよ−、も−ほんとに。

ちなみに河床部はこんな状況。
いやな臭いはしないものの、状況的に清水音羽側に類似する状況で、すこし退く^^。
少なくともこれから先に砂防ダム的なものはなかったはずで、これは三の橋川上流検索時にわかっています。

で、川の中をじゃぶじゃぶ・・・というかちゃぷちゃぷ^^歩くと次の隧道が見えてきます。
今度は京阪本線を潜っていく隧道に出会う。
京阪本線の土手にぽっかり口を開ける三の橋川の隧道・・・残念ながら調べ方が悪いのか諸現表などは全く見あたらなかったために、便宜上「三の橋川京阪本線 隧道」と呼ぶことにします。
けど、少なくとも明治43年にこの路線で開業しているようだし、この三の橋川は当時からまたいでいた河川であった・・・はずだ^^。
大正初期の地図でも、このあたりは全く今現在と変わらない(もう少し北の七条以北は地下に潜ったけど)。
とすればやっぱり当時の位置のまま残ってるのでしょうけど・・・立派なコンクリ−トの坑門・・・

と思いきややっぱり内部にはありました、煉瓦巻きの部分。
隧道の高さは2m程度、幅は2.5m程度の小さな隧道。
コンクリの巻き立てに挟まれた煉瓦部分・・・これがなにを意味するかといえば・・・

これ、後から継ぎ足したんだね・・・コンクリは。
しかも先程の疎水部隧道と違い、こちらは長手積み・・・って、もしここをイギリス積みで積んでいたりしたらすごい発見だけど、そんなことをすれば、隧道の 形状がかなり違うものになっていただろうしね・・・

コンクリと、煉瓦の境目。
これ、最近継ぎ足したみたいで、まだコンクリはそこそこ新しい。
それにもましてこんなところによく煉瓦積みの隧道が残っていたなというのは正直な感想。
少なくとも、煉瓦積みは明治時代に使われた工法・・・やっぱりこの京阪線開通時期も明治43年と、時期的にも一致するが・・・
少なくとも100年Overの隧道かな・・・ほんとにこれは・・・?
なんとなく新しい感じがする・・・。

その証拠に目地の間に塗り込まれているのはセメントだから。
少なくとも明治時代にセメント自体は存在していたもののそのセメントが今現在まで残っているかといわれると少し疑問。
少なくとも今現在使われるプレストレストコンクリ−トでさえその供用耐久性能は60年、限界性能としては100年が限度だといわれています。
 ましてこの川を通すという通常の条件下ではない状況において明治時代のコンクリ−トが今現在まで存在し得るかどうか?。
しかし、煉瓦は間違いなく煉瓦ですので・・・・考えられるのは、補修を受けているかもしれない、ということ。
隧道は15m程もちろん中は明るく明かりは必要ありませぬ^^。

隧道内は至って普通であるものの、銘板の類がないのが惜しい(ToT)、特に有り得そうだったのは入口、出口付近の壁面に残っていそうなものを今回は見事 にコンクリ−トで覆われてしまっている(ToT)。
特に破損はしていないけど、所々から水が染み出す、表面の白化などがあり確かに長い年月を経ているようには感じられた。
河床部はコンクリ−トなんだか自然に状態なんだかわからない。
堆積した泥の下には確かに石のごつごつした感じがある、しかしそのなめらかな表面をみるとコンクリ−トの河床ではないだろうか?、そういう思いが消えな い。

ちなみにこんな感じがこの隧道内の河床部です。
まだ変なニホヒはしない^^、大丈夫だよ。
この隧道もまた100本単位の列車とそれに乗っている数万人単位の人間を通らせている・・・。
すごいね、なんか。
河床部より(2009/06/29) 上部より(2008/07/13)
それぞれ、河床部より2008年度の撮影場所を、道路より2009年度の撮影場所を写しています。
思えば〜遠くへ〜きたもんだ〜^^などと思いましたが、よく考えたら同じ京都市内ですし全然遠くないです。
ただ、通常では隔絶された場所にいるからこそ、遠くへきたように感じるだけでしょう。
 けど・・・これ^^、後2週間遅かったら地獄をみていたね^^。
こんなところで鉈振り回したくはないし、刈り払う人間はいないだろうし・・・。スズメバチの巣でもあったら最悪だし(^^)今は。
もうこれは河床部がそのまま道になる状況で、それ以外は通れません^^。
で、次はJR線を潜る隧道で京阪線から30m前後で到着。
する前にいろいろ調べてみました。

護岸は谷積みという石の組み方で作られていて、これはかなり近代的な積み方だそうです。
しかし・・・正直河床部はコンクリ−トで固められているし、周りは緑があるものの、都市河川まるわかりの河川でもあります。
そして現れるJR線の隧道・・・


こっちはコンクリ−トで巻かれていない!!・・・ものの、雑草がからみついて、また排除できない位置にあったりして、これでは・・・銘板があるのかどうか もわからない(ToT)。
このJR線も明治35年当時の地図で、この位置を走っており位置変更はないはず・・・するとこの三の橋川も当時のまま・・・ではないね。

だって、思いっきり河床がコンクリ−トだもん(TT)。
かつてはこの路線が東海道本線だった時代もありますが、今はそんなことはありません、ここはJR奈良線となっています。
けど、その当時でも下手すりゃ20tクラスの蒸気機関車は走っていたわけだから・・・結構堅牢であるのかもしれない、地形自体が。
その当時のまま残されているのかといえばそうでもないですね・・たとえば

天井のパイプとか。
こんなもの、この隧道は作られた当時にはなかったでしょう・・・進むにつれて近代化されているようで、何となく無粋というか・・・
貴重な煉瓦作りの隧道なんですが、ここも内部にも銘板の類は無し(ToT)。
先ほどの京阪本線隧道と同じく隧道の高さは2m程度、幅は2.5m程度、長さはさらに短く10m程度。
煉瓦の積み方も同じく長手積み、けど異なるのは・・・

こんなふうに礎石が入っていること。
だいたい30cmぐらいの高さまで礎石があって、そこからが煉瓦を長手積みにしてある感じかな。
こういった作り方もあるんでしょうか?、隧道マニアの方の意見をお聞きしたいところです。

けど随道内の白化が結構きてる感じがする・・・こういう何から始まって・・やがては崩落・・・する前に定期的な検査をしてるはずだよね、京阪さんJRさん (^_^;)。

そして隧道を抜けます。
で、後ろを振り返って・・・

何じゃこりゃ?!(ΣoΣ;)。
何あのパイプは?、なにこの配管類は?^^。
この配管・・・排水用・・・でしょうけど、すると、あの隧道内の天井伝ってたのは何よ?ということになります。
この隧道内を伝っているのはおそらく配線か何かではないでしょうか?、昔はそのまま隧道内を伝っていたけど、管にまとめて配線した、そう考える方が自然で しょうし、むき出しのままでは漏電の可能性もあるのでこのような形になったのではないでしょうか。
おまけに本町通沿いの出口。
壁面ごと改修されてるし^^・・・おそらく左側のコンクリ−ト擁壁は後年付け加えられたものでしょう。
元々ここには石の擁壁があったところを、屈曲が強かったのか、コンクリ−トの擁壁で流れを改良したものと思われます。
しかし立派なア−チなのに・・・「MOTTAINAI!!」(^^)
なにも擁壁で隠すこと無いでしょうに・・・

おいおい・・・いきなりの住宅の裏ですかっ!!(^^)
しかもここら辺は都市河川としてかなり河床が深い位置にあるから、ホントに見上げる高さになる。
そして・・・風が涼しい。
おそらく河床部の水を風が吹くことで吸熱効果、つまり天然の打ち水状態になっておりとても涼しい。
しかし蚊も多い(ToT)/
今日は完全防備なので咬まれていないが、半袖できた日には・・・(^^)
河床部も変化が現れた。

石畳なのだ・・・このあたりから。
石畳のような河床・・・。
これいつ頃からこのような状況になっていたのだろう?、コンクリ−ト三面張り(側面、底面ともにコンクリ−ト)の都市河川ならいざ知らず底面が石畳の都市 河川は私の中では記憶にない。
こんくりを塗り込んであるとは思うけど、この三の橋川・・・気に入った。
石畳の上を流れる河川というのも珍しいし、何より夏涼しい^^。
水がなかったら、散歩道としても使えるのではないか?、そう思えるぐらい、ここの風景は良かった。

ん・・・?

おおおっ!!

キタ−−−−−−−−−−−!!!!!(^o^)/
す、すごい・・・あれ石組みだよね、しかも坑門も内部も完全に石造り!!
その上に、周りも全部石組み!! すげ−−!!
このときの興奮ときたら尋常じゃなかったことを書いておきたいです。
久々に「きた−−−−−−−−!!^^」と都市河川の中で叫びました(^O^)/

河床部より(2009/06/29) 上部より(2008/07/13)
それぞれの位置関係を表すとこんな感じ。
しかしこんなところで、総石造りの構造物に出会おうとは・・^^
すごい、感動!^^

ここが三の橋川四本目の隧道、本町通(伏見街道)を潜っている隧道になります。
伏見街道は古来から使われていた東山沿いの道を豊臣秀吉が改修したものであるといわれています。
そして陸路としては伏見からの主要道となり、近代化が進んでくるまでは東高瀬川の水運に押されつつも、陸路として存続していました。
そして、明治に入り近代化の波が押し寄せると再び陸路の主要道としての地位を得た。
 戦争になってからは物資の輸送道路として、京都−伏見を結ぶ道となった。
しかし、激増した自動車の前に路のスペックが付いていけなかった、今でもこの本町通はこの付近で南から北への一方通行となっている。
その下を支えている縁の下の力持ちがこの三の橋川橋なわけです。

おそらくこの石垣にしても、手積みで積み上げられたものでしょう、とすると、やはり明治前期か・・・もしかして江戸か?、なんて思うのですが、この三の橋 については目下調査中です。
けど、それにしてもよく残ってるとおもいます、しかもこれ、高低差6−7mはあると思うけど、全面手積みっぽい。
岩質は何だろう・・・花崗岩のような気もするけど・・・・もう少し勉強しときます(−−)

ふと横に目をやると民家の側面にこのような看板上の物が置いてあった。
「お気軽にどうぞ」・・・これ、私に向いているから河川を上ってきた者に対して言ってるんだろうね^^。
言っておきたいけど、とてもお気軽にこれる場所じゃないよ、ここは。
長靴はここまでくると必須に近くなるし、蚊の装備もいるし・・・・。
なかなかしゃれを効かせた看板だな、と思いましたよ^^。

この隧道前の石床、これ・・・川の水を流すためじゃないような気がする・・・これはもう、人が通るための物の気がしてなりません。
角の取れた丸石の組み合わせ、そして高さ20cm前後の段差。
・・・快適に歩けます^^・・・ゴミに目を向けなくてもいいのよ^^。
面白いことに、この石畳部分は「河床」部ではないようです、だって証拠に石畳部分は水がありません。流れている形跡もありません。
とすると河床部はこの石畳の下ということになるのですが・・・水に浮いた状態になってるの?^^この石畳は。
ちょっと怖い気もします・・・・(−−)。
ではいよいよ隧道部といっても長さは5m程度しかないのですが、入っていきます。

 隧道は幅2m前後、高さ2m半程、長さは8m程になります。
形状は馬蹄状であり、隧道の形状では理想型とされている形を取っていますし、側面は野積み、そして隧道面は切り込み接ぎといわれる積み方で石が積まれてい ます。
この石の積み方にもかなりの熟練がいるらしく、石師と呼ばれる方々は石の相性を見分けて、積んでいくそうです。
堅牢性にかけては花崗岩がコンクリ−トの数十倍という強度があるという意見もありますし、あながちすべての面においてコンクリ−トは優秀であるということ は正解ではないのかも知れません。
右側面
天面
左側面
底面
なんだか不思議な美しさがする橋・・・というか一応隧道です。
コンクリ−トのように無機質の、そして完全というまでに作り出される機械的な、何となく冷たい「美」ではなく、人の手が作り出したとわかる人間くさい、暖 かみのある美しさ。
完璧ではなく、ギザギザで、不完全だけど、その方が美しい。
側面はこれ・・・長手積みですね。かなり正確な積まれ方をしています。
そして天面迄を規則正しく積み上げてありました。
底面を見るとここ、お寺の参道かっていうぐらいの規則正しさです、ええ。
いったいなぜにこのような河川の橋下に非常に高精度な石組みを築いたのか?、いくら橋上を重量物が通過するにしても、そして、その中を河川の水が流れるに してもあまりにもできすぎた石組み。
オ−バ−スペックのような気がしてなりません。

ちなみにこの河床部の底を流れている水が、こんなふうに、石畳の低い部分から流れ出てきます。
こんこんと湧き出る様に出てきますが飲まない方がいいのは言うまでもありません・・・(−−)。
下流側
上流側
下流部も、上流部も完全にコンクリ−トの側壁に覆われていますので、この伏見街道に架かる第三橋の特異さがわかっていただけるでしょうか?。
そして名残惜しくもこの隧道を抜けて上流側に進みます。
河床部より(2009/06/29) 上部より(2008/07/13)
ここから先ははっきり言って都市河川そのものです、河床部には水の勢いを殺すためか石が規則的に埋め込まれていますし、正真正銘「三面コンクリ−ト張り」 の三の橋川です。
川は徐々に屈曲し始めて北東へその流路を変え始めます。
そして、三の橋川は完全に隔絶され始め、次ぎに河川を見ることができる臥雲橋では自身で削ったであろう谷の底を流れる河川となります。

水質は見た目では汚いと感じられないしきれいだと思いますが、飲まない方がいいのは言うまでもないです、何度もいいますが。
屈曲し始める三の橋川、位置的には月ノ輪小学校の南側にさしかかるあたりです。

こ・お

ん・な

か・ん

じ、で河川は曲がっていきます。三の橋川のこの付近・・・改修される前の堀川上流部にとてもよく似ています。
今は堀川はすべて改修されていて、昔の面影はありません。
異なっているのは下水の排水口がない事かな・・・堀川は見頃に開口している場所があったから^^
さすがにこんなところでそれに出会ったら泣く(>o<)/よホントに。
清水音羽川と一緒じゃんそんなんじゃ・・・・、「今のところ」は無かったのでいいけど、もしかしたら上流部にはあるかも・・・・(−−;)
だって誰も調べないからね・・・そんなこと

いい風景だね・・・ホントにそう思いました、この写真ではそのわずかしか伝えることができませんけど、風が河床を抜けていって涼しい・・・・
けどこの蚊の多さは何とかできないのか!〜 Orz
さっきから「ぷぅぅぅぅ〜〜〜〜ん・・・・・」と強烈に寄ってくる(ToT)し、いくら完全防備であってもいやだ、これ^^。
この写真の少し先で今回は引き返すことになりました。
 なぜなら、横の民家の軒先に人がいることを知ったからです。
・・・さすがにいい気はしないでしょう、いきなり川から人間が現れたら。
撤退開始・・・時間的にも、そろそろ日が沈み始めます。
となると当然、この脱出口のない三の橋川、今までの行程を逆戻りであります(TOT)・・・。
今回は時間と蚊の大群におそわれた末の退却と相成りました・・・。
で・・・またあの隧道を抜けるの・・・・琵琶湖疎水の・・・・?
・・・・実はエスケ−プ手段があるんです。

あの疎水へと入り込む隧道脇にこのような取っ手があったんです・・・。
今回はこの取っ手を○○○て、フ○○○を○えて、さらに疎水脇にある××を△△て疎水脇にショ−トカットしました。
この隧道は正直あんまり入りたくないし・・・
しかしプレ検索でここまでいけたら十分です。
次の本検索には東福寺内の地形を知っておく必要もあるでしょうし、場合によっては東福寺に許可を取る必要もあるでしょう。
三の橋川を上っていけば源流は伏見稲荷官有地にあります。
次はそちらのレポ−トを記してみたいと思います。

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