検索河川レポ-ト一覧

京都市には市内の東側に鴨川、西側に桂川、天神川などがあります。
しかし、かつてはもっと多くの河川が流れていました。
今ではその多くが災害による治水のため、近代化による暗渠化のため、姿を消していきました。
かつて流れていた河川は今どうなっているのか?、どのようになってしまったのか?。
それらを執念で追跡していきたいと思っています。

*注意
河川検索は、急な雨による増水の危険性と常に隣り合わせです。
また、コンクリート三面張りの河川では夏にいくと、コンクリート反射による照り返しで、河床部の気温が実気温よりも高くなったりします。
どの河川も、冬には身を切るような寒さです。
暗渠内は遭難、事故が発生する可能性があります。
下水の混じっている河川では感染症などにかかる可能性があります。
警察の方から職務質問を受ける可能性があります。

管理人はできうる限りの安全対策エスケープルートの確保を した上で検索を行っていますが、すべて自己責任での検索です。
これらのレポートを読まれ、実際の検索を行われて、あなたの身に何かがあったとしても、当方はいっさいの責任を負いません
もう一度書きますが、いっさいの責任を負いません(大切なことなので、2回書きました)
検索したいと思われる方は、すべて自己責任におかれまして行動されますよう、お願いいたします。

またこれらのレポートは、あなたに実際の検索を推奨するものではありません。

河 川 名
残 存 度
場所・コメント
四条川
四条川
3%

廃河川

京都府京都市 中京・右京区
かつて四条堀川に堰を設け、そこから分岐していた川があった。
今はその分岐していた川はおろか堀川まで暗渠になってしまったが、僅かにその遺構は残っていた。
(このレポートには誤りが含まれています レポート修正予定)
京都市南部を流れた河川
西洞院川
0%

消滅河川

京都府京都市 下京・南区
京の町に日本で初めての電車が走った。
今から100年以上前の話であるが、その影で、鉄道によって消え去った川は、案外知られていない。
その川は今も、私たちの歩いている道の下を、流れ続けている
(修正レポートを執筆すると思います)。
堀川を水源とした河川
鍋取川
上流部
2%

廃河川
京都府京都市 下京区
漸くではあるが鍋取川の上流部を調べることが出来た。そしてほんの少しだが「これではないか」と思われる河川跡を見つけることが出来た。
(このレポートには誤りが含まれています レポート修正予定)
暗渠化された河川の末路
鍋取川

下流部
5%

廃河川
京都府京都市 南区
京都駅より南、すなわち東海道本線より南では意外にも河川が残っている場合が多い。
それは東海道本線が川のように地域を分断したためだ。
この河川もそうした河川の内の一つである。
そして、なんと調べているとこの河川にも旧流路が存在していたようだ・・・
(修正レポート作成予定あり)
天神川現流路(太子道~御室川合流点)
天神川
現流路
太子道~御室川合流点
調査中


京都府京都市 右京区
昭和10年(1935)京都で水害が発生した。
一日の降水量が400mmを超え、市内各所が浸水し、その後の河川改修のきっかけとなった京都大水害。
天神川は昭和20年(1945)を境に全く流れの異なる河川となった。
このレポートは天神川の新しい(現)流路をたどる、とてものんびりしたレポートだ。
天神川現流路(御室川合流点~桂川合流点)
天神川
現流路
御室川合流~桂川合流
調査中


京都府京都市 右京区・南区
昭和10年(1935)京都で水害が発生した。
一日の降水量が400mmを超え、市内各所が浸水し、その後の河川改修のきっかけとなった京都大水害。
天神川は昭和20年(1945)を境に全く流れの異なる河川となった。
このレポートは天神川の新しい(現)流路をたどる、とてものんびりしたレポートだ。
牙を抜かれた天井川
天神川
旧流路
太子道~七条
0%

完全
消滅河川
京都府京都市 右京区
京都市街の西を流れる天神川は親水性はまあまあにしろ、春には桜が見事である。
しかしその前身、かつての流路では天井川であり度々水害を引き起こしていた河川であることは知られていない。
失われた川の道をゆく。
御室川現流路
御室川
現流路
源流~天神川合流点
調査中


京都府京都市 右京区

3回以上の河川改修を受けた河川
御室川
旧流路
合流点以南
0%

完全
消滅河川
京都府京都市 右京区
御室川も天神川と合流する河川工事を行われる前までは独自の流れがあった。
それは天神川現流路に近いものであるが幾多の河川とあわせ、また別れて、桂川に合わさっていた旧流路。
石碑の内容を解読してくださる方募集です。
天神川
旧流路
七条以南
5%

廃河川
京都府京都市 右京区
天井川だった天神川流路の七条近辺、かつての流路。コンクリ-トに塗り固められた最後の残存遺構があった。
二度と水を流さぬ合流地点付近の残存遺構は何を想う。
天神川
旧流路
五条南の支川
7%

廃河川
京都府京都市 右京区
昭和47年当時、中堂寺南通沿いに一つの支川が天神川旧流路に合わさっていた。しかし調べていくうちにもう一つの河川の存在に気が付き調べてみると・・・
(このレポートには誤りが含まれています レポート修正予定)

旧天神川
100%

現存河川
京都府京都市 右京区
七条以南はかつての天神川旧流路とは異なる新しい流れが造られている。
いつ頃造られたのか?、それすら不明だ。
だがそれは河川と言うよりも・・・

堀子川
100%

現存河川
京都府京都市 中京・下京区
四条川より水を分けた堀子川はかつて、重要な水運の要であったそうだ。
その姿は水のかさが減っても今日まで残っている河川でもある。
そして、今後の経過観察が必要な河川でもある。
掘子川旧流路
1%

廃河川
京都府京都市 中京・下京・南区
西高瀬川に流路を取って代わられたような掘子川だが、実は旧流路があった!
いつ消えるともわからない状況のため、緊急検索を実行した。


堀川
旧流路
0%

完全
消滅河川
京都府京都市 南区
堀川は京都市の中央を南北に流れていた河川である。
だが、今現在、御池以南~上鳥羽口まで暗渠化され地上を流れてはいない。
そして、この流路は暗渠化される以前の流路である。
(修正レポート作成予定あり)
堀川明渠部
堀川
現流路(最下流部)
調査中


京都府京都市 北区、上京区、中京区、下京区、南区
かつて平安京造成時に作られたといわれている堀川。
その最下流域は幾多の河川の流路を利用して造成され、まさに「つぎはぎ」のような状況を呈してくる。
河川のフランケンシュタイン、そういってもいいと思う。

島田川
3%

廃河川


京都府京都市 南区
この河川も探していたのだが、遅かった。いつもいつも遅いのだ。私は。
私が行った時点で、既に廃川後十一年が経過しようとしていた・・・ Orz

高瀬川
旧流路
20%


廃河川


京都府京都市 下京区・南区
京都駅の東側を流れる高瀬川。
この川もつい最近、流路の変更があった。
そしてまた私が遅い、と言う事を示してしまった・・・。
(2014年には住宅展示場の敷地となっています。)
(修正レポート執筆予定あり)
高瀬川源流路
高瀬川
現流路

調査中



京都府京都市 中京区・下京区・南区
1600年代に京都の豪商、角倉了以親子によって企画され開削された運河である。
京都市内と伏見を結ぶ水運の大動脈ではあったが、近代化の波に翻弄され続けた河川でもある。
そんな河川を、まったりと歩いてみるレポート。
東高瀬川
東高瀬川

33%
準廃河川




京都府京都市 伏見区
高瀬川は河川の平面交差により鴨川と交わっていた。
かつてはここを幾多の高瀬舟が通過していたのであろうが、もはやそのような栄華とはかけ離れた現実を味わっている河川でもある。
水を失った河川はそれでも、そこに在りつづける。
西高瀬川(源流)
西高瀬川
源流~三条
調査中




京都府京都市 西京区
角倉了以親子の開削した高瀬川の洛西バージョンがこの河川だ。
今は都市河川として流れているが、驚くなかれ。
かつては二条城ともつながり、遠く桂川から大阪とまでつながっていた事実。
三条千本付近に材木問屋が多いのもこの河川の名残です。
西高瀬川
西高瀬川
真夜中は別の顔〜

雨の夜に
100%

現存河川


京都府京都市 右京区七条付近
西高瀬川のもう一つの顔、晴れた日は水も少ないが、大雨が降ると一変
もう一つの顔を見せ始める。
雨の日に河川に近づく事は絶対に避けてください(管理人も、これ以降は絶対に近づきません)
小川
小川
調査中


京都府京都市 上京区

調査中
今出川
調査中


京都府京都市 北区・上京区

aizomegawa pict
藍染川
1%

廃河川


京都府京都市 下京区・南区
かつて、塩小路通に七条停車場があった頃、そのすぐ東側、東洞院通に面して一本の河川が流れていた。
六条富小路付近、五条南の住宅地を源流として人家の裏を流れ七条通りで東洞院通にそって流れ
東海道本線以南は竹田街道にそって、鴨川に合わさっていた流れ・・・って、これ跡ってあるの・・・?

養老田川
30%


現存河川
京都府京都市 右京区
西高瀬川より分流している河川がある。養老田川(よろだがわ・おいだがわ)と言うが、奇妙な二面性を持つ河川である。
その流れも、そして生い立ちも。
2008年2月より遂に暗渠化工事が始まった。
そして、2010年には暗渠となってしまった(ToT)
(追記レポート作成予定あり)
太田川
暗渠部
1%

廃河川
京都府京都市 左京区
全く思いも寄らないところで河川と遭遇した。
徐々に判明してきた流路。
しかしまだ情報が不足しているので、何かご存知の方はご一報くださいませ。
太田川
太田川
明渠部
調査中


京都府京都市 左京区

修学院音羽川
修学院
音羽川
検索保留中


京都府京都市 左京区
鴨川合流点から源流までの距離、(多めにみて)約4km。
しかしその高低差は驚きの約700m Over!!!
道理で、下流部は三面コンクリート張り・連続堰堤の都市河川&中・上流部は砂防ダムだらけになるはずだ・・・
(ヴァイオリンを演奏している都合上、怪我ができないので、検索保留中です・・・(-_-;))
清水音羽川
60%


現存河川
京都府京都市 東山区
世界的にも有名な清水寺。
だが、そこから流れ出る河川は案外知られていない。
古地図を頼りに下流から遡ってみたが、そこには「音羽の谷の中心で臭いと叫ぶ」私がいた。
知らなければよかった、がっかりレポート(-_-;;;)
しかし遊歩道が整備されているようですので、この状況は改善しているのかもしれません(2014)。
(新レポート執筆予定あり)
轟川
15%


廃河川
京都府京都市 東山区
清水寺の奥に池が存在することをご存知だろうか?
そこから流れ出る河川は、幾多の書籍にも記載があるのに、現在地図では抹消されている。
奇妙な町境界線をたどれば河川の姿が見えてくる。
意外な場所まで流れてました。

伏見街道の四河川


100%

廃川・現存河川
京都府京都市 東山区・伏見区
鴨川と東山山麓の真ん中を走る本町通。かつての街道の面影を残す貴重な通りだが、その街道で現在残っている橋梁は4橋、それぞれに河川があった。
だが、それらの河川は今・・・。
(レポートを分割する予定でいます、今しばらくお待ちくださいませ)
残存度とは以下のように大まかな河川としての残り具合を示しています。(残存度は管理人の勝手な数値です)
残存度(%) おおよその目安
100% 現役で流れ続けている河川(現存河川)
50%以上 川として流れ続けてはいるが暗渠などへの転用が始まっている状態(準現存河川)
25%以上 暗渠や廃川化の動きがあり、川の流れが確認できない物(準廃河川)
10%以下 ほとんどが廃川化されたか暗渠化された状態。僅かに川跡と解るものがある状態(廃河川)
0% 完全に廃川化されたか暗渠化され、川が流れていた跡すら残っていない状態(消滅・完全消滅河川)  
*完全に暗渠化された場合は地上から姿を消したと判断して(消滅河川)
*完全に埋め立てられた場合は完全廃川化として(完全消滅河川)

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