西高瀬川-Night - 真夜中雨中は別の顔 (2011.5.11)

全体図


西高瀬川は嵐山、渡月橋の袂、大井川(桂川)より分流して、西京の地を流れその水量のすべてを天神川現流路に落としている河川である。
この河川は昭和10-20年以前の姿と、現在の姿が大きく異なっている。
昭和20年より以前の姿は、天神川が旧流路を流れ現在(2012 *記事執筆)の流れがまだ出現していなかった。
そして、西高瀬川は現在の天神川現流路に水を落とすこともなく、東に向かって流れていた。
しかし、昭和10年に京都大水害が発生し、天神川の改修が始まる。
その課程において、京都の西方に於いて水害をなしていた2つの河川(御室川・天神川)の改修が行われ、御室川・天神川は御池通り北側で合流させ、その合流 点と 御室川最下流域の桂川合流点とを直線で結んだラインに新河道を掘削する。
そして西高瀬川は天神川現流路により、東西に分割された。
天神川より東側の西高瀬川は、ほとんど水を持たぬ3面コンクリート張りの都市河川そのものであるが、時と場合によりそれは「間違いだ」と言える姿を見せ る。
そして、この西大路通りから月読橋あたりまでの西高瀬川は1930年代には存在していない。
つまり、現在のこの河川の流路は1930年以降に「作られた」流れである。
この河川はいくつかの特徴がある。

・三面コンクリート張りで、普段はほとんど水が流れていない。
・都市のただ中を流れているわりに、河川へのアクセスは一切出来無い(親水性ゼロ)。
・そして、その河川は時として大きく姿を変える、と言うこと。

上記の特徴が当てはまる河川は・・・・雨の時にはかなり危険な河川となる。
そして私は河川の別の顔をとらえたくて、ただ待った。
そしてその時が来た・・・日時は2011.5.11、天候は・・・土砂降りの「大雨」。
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)


質問、えー・・・私はなにをしているんでしょうか?
暗い夜道、降りしきる雨、ひとりぼっち・・・・。
先ほどから雨の勢いが半端なく道路上を小川のように流れて来てます。
というのか、何故こんな時間に私は一人で「河」に向かって歩いているのでしょうか?。
答え、これが私の「サガ」 だから(TωT)。
みなさま、お久しゅうございます。
なかなか更新ができませんでしたが、やっと立ち直りましたので更新を再会したいと思います。
更新が途絶えていた間、実に様々なことが変化しました。
私自身の変化もそうでしたが、幾多の河川が現れては、暗渠に消えました(ToT)
しかし、いつもは何気なく見ている流れさえ持っていない河川が、ふとしたきっかけでその姿を大きく変えたら?
今回はそんなレポートを書きます、そして・・・・
くれぐれもまねをしないでください(-_-;)
降雨時に河川に近づくことは避けてください、真似をされて、あなた自身になにが起きても当方はいっさい責任を負いません。
(私もこの河川に関しては、今後降雨時に近づくことは一切しません、局地的豪雨などによる増水は本当に危険です)
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)


やってきました、西高瀬川・・・(みなさんは、こんな天候の時にはくれぐれもこないようにね)
現在位置は花屋町通りの一つ南の橋。
普段の高瀬川はほとんど水の流れのない都市河川。
しかし、こんな天候の時には?
事実、今の天候は雨、じゃじゃ降り。
西高瀬川はどのような変貌を遂げるのか?
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
・・・すげー('o')
いえ、わざとらしいかもしれないけど、普段の水位の少なくとも10倍以上の水位だと思う、この水量。
だって、いつもの流れは河床を這うように水がちょろちょろと流れてるだけだもん。
「ごぉぉぉぉぉ・・・・」って音を立てて流れる河川・・・・いつもの西高瀬川じゃない!
けど、けどね・・・・するねん(関西弁)
ほのかにかほる、腐っ た卵のような、石鹸水のようなこのにほひ(ToT)
これはもしや・・・
・・・・(移動中)
・・・・・・(雨きついんですけど・・・)
・・・・・・・・(うぎゃー、靴下が、靴下が浸水した(ToT))
・・・・・・・・・・!
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
やっぱり!
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
ただいまの位置は花屋町を越えて西高瀬川の屈曲部を曲がったところ、名倉公園の南側。
河川の側壁にあいている穴は~・・・・
やっぱりあった下水ちゃん(ToT)
しかも、今日の雨でもう、すんごい勢いで水があふれてきてるし(ToT)
おそらくこの下水は下水路の幹線の一つだと思う(根拠はないですが)
それも合水式(雨水と下水をあわせて排水する)の。
今日はもう出血大解放と言わんばかりの放水っぷり。 ついでに「におい」も結構する。
ちなみに、私がいるのが、河川の南側から北側の合流部分を見ているので、距離的に7-8m、この位置で結構臭い(TωT)
言い方は悪いけど・・・下水のにおい(TωT)
(ちなみに佐井通(春日通)の東側にももう一カ所下水の合流点らしきものがあり、そちらからも雨天時はあふれます(ToT))
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
ちなみにこの水位も結構きてるけど、台風が来ているときなど「ちょっ と 怖いです('o';)」なレベル。
水面が写真よりもさらに上昇して、護岸の上面まであと60-70cmぐらいというのを一回だけ見たことがありますが、あれは「これ以上降るとやばいよ~ (#_#;)」な勢いの水が流れてました・・・このあたりは普段の50倍増しぐらいでしょうか?
音も「ごぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」巻き込まれれば・・・・まず助からないでしょう。
 そもそも何で何でこんなところに下水の吐水口があるのか?
私が知り得る限り、このような都市河川で下水の吐水口があるのは 「鴨川」 「天神川現流路」 「旧天神川」 「堀川(現在は吐水口閉鎖)」 etc・・・
しかし近年堀川や鴨川の吐水口は閉鎖されているので、想像でしかないですが、「手が回らない、あるいは改修の必要を感じていない、それとも眼中にない?」 行政側 は。
てなところじゃないでしょうか?
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)


けど、ここでこんなに水が流れているとなると、下流ではもっと大変なことになっているわけで。
京都は南へ行くほどに土地が低くなっているので、水も必然的に多く集まります。
ここでこんなに水が流れているということは、ほかの河川ももっと水が流れているということです
今現在の治水でさえこの増水っぷりになるのですから、80年前の京都大水害はもっとすごいことになったのは想像に難くありません。
 西大路丸太町の近辺、土地が低くなっている箇所では水嵩が6尺(180cm)を越えて、民家の屋根を突き抜けたと言う記録がありますので、まさに一夜に して 「湖」が出現した感覚でしょうか。
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
西高瀬川も、この七条以北と七条以南ではその姿が変わります。
七条以北では河床から護岸上部までの距離が長く、深く掘られた都市河川であるのに対して、七条以南では天神川旧流路の流れをあわせていた関係からか、河川 の幅 が広 がって一般河川のような広さの都市河川となります。 (ただし、相変わらず三面コンクリート張りで、通常時には河床をわずかに水が流れているぐらい)
で・・・いいたいことは、雨が激しくなってきてもう帰りたい(雨音が激しすぎて、なんか怖い(ToT))
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
ここで、西高瀬川は七条通りを潜って南へと流れる。
ちなみにこの西側には、長い間「倉敷染工」があって、目印の煙突があったが、何年も前に撤去され跡地には巨大な商業施設が建設されている。
こんなに何軒も建てて意味はあるのか、と自問自答。 まあ私には一生縁がないから。
 この商業施設の付近で合流していたであろう河川跡も発見してはいるものの、まだそれと言った情報を得られていないので、今回の執筆は保留。
ますます雨は激しく、河は荒れ狂ったように水が流れていく・・・ほのかにかほる石鹸のにほひを残しながら。
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
・・・何で、こんなに激しい豪雨の中、私はカメラに防水用のビニールをブルぐる巻きにして、さらにストロボをつけてまで河川を撮影 しているのか?
答え 「(やまい)」 だから(ToT)
河というものがあると、ついつい見入ってしまい、流路をたどる我が病は治らない(未発見のものを発見したときの「きたぁぁぁぁぁぁーーーーーー」も治らな い(ToT))
 あの堀川の暗渠の開口部に出会ってからは、良くも悪くも 私は魅入られてしまった・・・河というものに。
何故、川が地下を流れているのか?
その理由を求めて始めたときから、私と川の関係が始まった。
  ・・・話がすぎた・・・。
現在地は七条通りを渡った南側、月読橋の東側から南には行った細い路地なんですが・・・音が怖い(ToT)
普段は物静かな河川が「ぐぅぉぉぉぉぉ・・・」と圧倒的水量(普段比)で、「河ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 と自己表現しとる。
 これ、落ちたら水流が強くても辛うじて、河床に立つことは可能でしょうが、バランス崩したらそのまま流される。
そして、ここから南に行けばいくほど、護岸が高くなっていき「逃げられない」です
 見ていただければわかりますが↓
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
全く水のない河川に関わらず、メーターの下のあたりまで水位が来とる(ToT)
 もしお近くの方は晴れているときに、ご覧になって下さいませ。
このメーターのところまで水なんて無いから。
河床のさらに一段低くなった溝を流れているだけの状態。
このあたりから川幅が広がる箇所なので、水位がそんなに上がっているようには見えませんが、実際はかなりきてます(-_-;)
・・・これで、なぜ西高瀬川現流路が、一切親水性のない河川なのかがわかります。
理由はただ一つ「増水時に危険だから」
ちなみにこの増水、一日豪雨の状態でこれ、梅雨時期や台風の豪雨になると、もっと猛り狂う(本当に猛り狂うと言う表現がふさわしい状態になる)。
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
一つ南の橋近くに行って撮影。 ちなみに私の足下はもうすでに・・・靴上浸水(靴 下浸水は通り越しとる(ToT))、ズボンもべとべと、靴なんて確実に水が滴り落ちるレベル。
さっきから雨の降りが一番きつく、道路で雨粒がはねている状態。 もし、普段からこれだけの水量があれば、相当涼しいと思う。
何回過去の河川を歩いているけど、決まって晴れの日だし晴れているので、暑いしコンクリートの照り返しはきついし、あまりのつらさに倒れたくなり、つい 「哲学」したくなります。
Q.「私は何故こんなにしんどい思いまでして、河原(川床)を歩いているのか?」
A.「そこに河川があるから(ToT)」
・・・・いつも夏の河川検索はそんなことを思いつつ、ふらふらになりつつ河原を歩いています。
(もしあなたが、夏の都市(廃)河川で麦わら帽子をかぶった女子が歩いているのを見かけても、それはきっと歩きながら哲学をしている女子ですので、生ぬる い目で見守ってください)
 (あ、そうそう、晴れていても一時雨などの可能性もあります、管理人も脱出場所を見つけた上での入川を行っておりますので、安易にこういった 都市河川には立ち入らないで ください。 )
橋の欄干から川面を見る。
この写真のみ名倉橋 南の橋より撮影
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
不思議だけど河川は美しい、そう思う。 いろんな姿をして、水を流す存在。 ある時は樹木の根から滴る水を集めるような小川だったり。
ある時は対岸が見えないぐらい広い川幅を持つ大河だったり(海外ね) ある時は天然に作られた姿だったり。
ある時は人工に作られ、冷水を温水に変えたりする姿だったり。 どれとして同じ姿の河川はない。 そして、何故か今宵の西高瀬川はとてもきれいだ、そう感じる。
川の役割を果たしているから・・・一瞬だけでも。
 私は暗渠化を好まない。 暗渠化すると管理者としては非常に都合がいいことがある。
それは「目に付かない」と言うことと川の流れていたスペースを「他の事に流用」できるということ。
前者は生活排水や汚水が流れても、あまり気にならない(気にする人がいなくなる)と言うことであり、後者はそのまま暗渠化=道路である。
確かに、「くさいものには蓋を」だけど、暗渠にして、内部をしっかり管理できるのなら、それもいいけど、管理できなくてゴミがたまって逆流・・・なんて事 にな る と、目も当てられないんじゃ無かろうか? それに、暗渠化してから50-100年経過したときに、暗渠を成している構造物は果たして暗渠を支えているかどうか?。
事実として、水というものは半端なく強い。
 以前筆者が潜った三の橋川では琵琶湖疎水の下を 抜けている箇所で天井 から派手に漏水していた(-ω-;)
(ちょろちょろ程度ではなく、じゃ-じゃ-とだだ漏れ状態の漏水だった・・・)
たとえ防水処理を行っても、その素材自体に寿命がある
特に水が流れ続ける「河川」であればなおさら、あらゆるものを浸食し崩壊させる性質がある。
これまでいろんなレポートで何回も書いているけど「そういったものを、人間は管理できるのだろうか?」と。
その暗渠を 100年間管理できるのか?、と。
また話がすぎた・・・。
しかし今日の西高瀬川は美しい・・・思えば、このとき私は「憑かれて」いたのかもしれない。
そう・・・そして、あんな気狂いな事をしてしまったのかもしれない・・・。
・・・川をもっと間近で見たい(なにっ!?)。
なに考えてんだYO(ToT) いや、ホントにそう思います。
 けど川を見たいと言う思いに足はすたすたと動く。
気がつけば旧天神川合流点に立っとる(ToT)
側壁を降りて前進ず・・・もうずぶ濡れだ。
すたすたすた・・・
自分でももっと見たい、もっと見たい・・・今更振り返ってこうしてレポートを打っていても明らかに背筋が寒くなる。
 「なにを考えていたんだ」と。
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
  この地上で旧天神川として残っているのはある意味、この合流部のみで、これはこれで貴重な遺構なんですけど、普段生活している人からすれば、まるで 「?」ですね。
なんだって、こんな地形になってるんだ、と。
しかし未だにここを流れていたとしたら、この合流点はかなり危険な場所だと思う。
 なにせ、大雨が降れば上流部で暴れ川、西院村では一の坂という護岸を上る坂まで造らせていた天井川の水がここに集まるわけでして・・・
京都の河川図も塗り変わっていたかもしれない場所・・・だけど、現実的には、河川は牙を抜かれ、末端のみが残った。
そして、上流はすべて埋め立てられるか、暗渠になるか、になった。
平常時
雨天時(2011-05-11)
晴天時(2012-08-06)
ごうごうと音を立てて流れる水、その目の前にいた。
ただひたすら水が上流方向から下流方向へ向かって流れていく。
川という地形上特性から言えばただ当たり前。
だけど、川が生きている姿を目の当たりにしている。
平常時
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
このもう一つ下流部の暗渠から流れ出ている旧天神川のほうもおそらくすごいことになっているだろう・・・あちらのレポートは古いものですがこちらに。
間近で見る増水
そのごうごうとした流れをのぞき込んでいる私。
ほのかに鼻を突く異臭。
相当な早さで流れる水。
それをのぞきこんでいる自分。
 正直、気が狂ったとしか思えない光景だったでしょう・・・近くから誰かが見ていれば。
そして、ふと「・・・・・何でこんなところにいるの?!」
あわてて、水流から身を離しました。
目の前にはホントに渦ま・・・・きはしてないけど、相当な水流。
耳元で「ぐぉおおおおおおお・・・」と言う音が未だに鳴ったりします。
もし、あのとき「なにをしている」という考えにならなければ、そのまま川の中に入って入った事でしょうし、そしてどこまでも川の中を突き進んだことでしょ う。
これを執筆しているにあたっても、「ガクブル」ものです。
hりじょうじ
雨天時(2011-05- 11)
晴天時(2012-08- 06)
今回の検索ははっきりと「自分病気だろ(ToT)rz」 といいたくなりましたよ、ええ。
雨の中、増水している川に間近まで近づくなんて事は・・・・。
管理人はやってしまいましたが)みなさんはやってはいけませ ん!!(というのか、やらないでください)
・・・ごめんなさい、言っている本人がやってしまいホントに反省してます。

こういうことがあってから、しばらく自分自身を見つめ直した。
本当にこれでいいのか?こんな姿勢でレポ-トを続けていっていいのか?
結構真剣に悩んだ。
私は河が好きだ。
けど、危険を推奨するような行為はしないつもりでいたのに、ふらふらと行ってしまった。
こんな事をすれば、再びやりかねない。
正直なところ、このレポ-トは本当はボツにするつもりでした。
あまりにも常軌を逸していたから。
(長期間更新しなかった理由の一つがこの検索でした.)
そして今一度、これからについて考えた。

決めたのは、これからの私の検索は「危なかったらやめること」それしかない。
私は河川が好きだ。
だけど、今回のようなことは二度としない。
しかし、レポ-トは常に「ガチンコ」な体当たりで、行いたい。
その均衡を考えなければ今回のような危険行為で突っ走ってしまう自分がいる。
その衝動性を抑えること。
それを常に心がけないと、今回のようなトチ狂った事をやってしまう。
・・・本当に西高瀬川には「河川の怖さ」と「抑える」事を教えられた気がします。

増水
雨中の西高瀬川は牙を持った獣のようでした。
牙を抜かれたはずの河川が、牙をむいてくる。
私がこの河川に持った印象は「極端」
下水の流入がこれだけの極端な水位上昇を招くため、親水性を一切持たせるわけには行かなかったというのが、この河川を整備したときの本音ではなかったので しょうか?
そんな河川に魅入られて、増水時に間近まで近寄った馬鹿が一人。
今回のレポ-トは私自身に自戒を込める意味で公開する。


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