http://www.meijishowa.com/photography/2401/101007-0059-boats-on-takasegawa 大型カメラ? (SS1/8〜1/15ぐらい, A8-11ぐらい ISO 25ぐらい 現像にて露出を調整している可能性あり) |
京都市街地の東側、鴨川と
並行するように流れるのは高瀬舟でも有名な高瀬川だ。 もちろんこのような並走する河川は最初から存在していなものではなく、1600年代初頭に角倉了以・素庵の親子によって京都と伏見を結ぶ水運の大動脈と して造成されたもののようだ。 時代は流れ、1920年、近代化の波によって水運は廃止されたが、明治期から大正期までは高瀬舟を使った水運も行われており、撮影された古写真にも船を 引いて川を上 る引き子の姿を写したものがある(リンクをクリックすると写真が見れます) それらの中でひときわ目を引いたのが右の写真で、引き子が高瀬舟を引いて上流に向かっている姿を写しているが、この高瀬川は撮影者から向かって右に曲 がっていく箇所を撮影している。 この高瀬川の右曲がりはかなり珍しく、おそらく京都の市街地の中では旧流路を含めると数箇所しかない(明らかに上流に向かって右に曲がっている箇所)。 この場所は一体どこだったのか?、そしてこの場所の今はどうなっているのか?、はやる気持ちを抑えて、検索に赴いた。 |
ここは河原町通の東側の高瀬川、枳殻邸の北東側といえばわかりやすい
か? 現在では「ひとまち交流館京都」と いう公共施設の東側。 現存する高瀬川の「右曲がり」の箇所であり、上記古写真の撮影位置だろう。 古写真から読み取れることは、「電柱が立ち」「三階建ての建物も存在し」「緩やかに右に曲がっていく高瀬川」。 この条件に当てはまるのはこの場所になる。(もう一箇所塩小路付近の高瀬川旧流路の可能性もあったが、明らかに角度が急すぎるため除外した) 古写真の左側にはまだ空間的広がりを感じたが、実際この付近では船を転回する「舟廻し」が存在しており、この付近の川幅は9mほどと広かったようだ。 それにしても・・・なんという時代の変わりようであろうか。 この高瀬舟も、底の平らな高瀬舟も、それを引く引き子も、もう、何も存在していないのだ。 ただ、変わらない川が、ただ静かに流れるだけだった。 |
撮影機材 Canon PowerShot G12 (SS 1/25 , A 4 , ISO 320 , WB Auto) |