西京極・京都大水害直後(1935.06.30 16:00) 同場所(2016)


中型カメラー35mm版?
(SS 1/60 F 4-8 ISO50ぐらい?)
1935年6月29日、未明から 降り続いた大雨は京都に大水害をもたら すことになった。
のちに「京都大水害」と呼ばれるこの水害は折からの低気圧に湿った風が吹き込んで、局地的に凄まじい雨を降らせた。
 その雨量たるや半日で250mmという凄まじいものであり、市南部の河川はほぼ全てが氾濫し、特に低地が広がっていた鳥羽・塔ノ森などはその村域の全て が浸水、交通網は寸断、京都市電や現阪急や現JR奈良線なども路肩の土砂が削り取られるなどして、運行を停止して、都市機能は麻痺状態に陥った。
この豪雨が契機となって京都の河川改修は急速に行われていくこととなる。
左の写真はまだ豪雨の出水がとまらぬ中で、西京極地区にて撮影された一連の記録写真の一枚である。
この写真は現在の西京極を通る七条通から東方向を撮影した記録写真であった。
 この写真はある「一つのもの」が写り込んでいることによって正確な撮影位置特定までが可能だった珍しい例だ。
では、いったい「何」がこの写真には写り込んでいたのか?
 上記古写真の中ほど、民家と電柱の間にわずかにうっすらとではあるが煙突状のものがあるのがわかるだろうか?
これは今は無き倉敷染工の西京極工場に存在していた排煙用の煙突であった。
この工場は現在大型娯楽施設になっており、現存していないが、2006年当時は西大路から西へ向かうとこの大きな煙突が存在を示しており、この煙突が上記 写真位置に写り込む撮影場所は一箇所しかない。
現在の七条通を西小路を過ぎさらに西へ行くと、かつて天神川旧流路が流れていた。
そのから更に西へ向かうと、七条通は急に狭くなり民家の中を抜けていく通りになる。
 その通りの中ほどに松尾社があり、その参道の七条通交差付近よりやや西南西の七条通り南側で上記の記録写真は撮影された。
右は現在の同じ場所から同じ方角を撮影したもので、今回は写り込みによって場所まで特定可能だった珍しい例となった。

撮影機材 Nikon Coolpix P7700 (SS 1/125 ,  A F5.6 ,  ISO 200 , WB Auto)



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