初代七条停車場(1895-1914) 京都駅 (2016)

 


























撮影機材 おそらくシートフィルム 大型カメラ?
(SS 1/8以下 1/4ぐらい A16以上 ISO50以下?)
写真は京都駅の前身である七条停車場。
1877年に東海道線の駅の一つとして、設置された。
この駅自体は神戸からの終着駅であった。
その後、幾つかの路線が乗り入れ、路線自体が不況の影響などで国有化、さらに東海道線が現在の位置を走るようになると、七条停車場は手狭になり京都駅は現 在位置に移設されたが、写真はその初代京都駅の1895年から1914年までの間のものだ。
1914年、二代目の京都駅は初代京都駅の約100m南に移設されて、現在見る京都駅の原型が作られた。
 しかし1951年に給仕室のアイロンの不始末から二代目京都駅舎は焼失し、現在の巨大な京都駅となる前の三代目の京都駅が建設される。
この京都駅は鉄筋コンクリート建築で、激増する観光客を迎え入れていたが、1994年の平安京建都1200年祭を契機に、21世紀に向けた京都駅をと、様 々な景観論争を巻き起こした四代目京都駅が1997年に完成した。
この京都駅が現在私達が目にする京都駅である。

四代目京都駅は高さ60m、良くも悪くも京都の市街地を分断しているの は事実であり西洞院、新町、室町、烏丸、不明門、東 洞院の 各通りがそれぞれ南北で分断されている。
特に京都の縦の通り、烏丸通は現在のメインストリートであり北側と南側では表情が全く違うのも面白い。
 京都駅近郊は現在ではすでに電柱を地中化しており、往年の電柱が立ち並ぶ光景を見ることはできないが、かつてはここを京都電気鉄道が、その後市電が走 り、それらはすべて撤去され、今は車道が広々と整備されたが、かつてこの駅の南側には見渡すかぎりの田畑と、各通り沿いに点在する家屋、南はおそらく鴨川 などもそのまま見ることができただろう。
また、撮影位置の東洞院通と塩小路通の交差点付近には藍染川が流れており初代停車場側ではおそらくかかっていた橋の親柱であろう柱や、欄干が見て取れる が、これらもまた総て消滅している。
 現在私は21世紀を生きているがこれからどのような変遷が起こっていくのだろう?
これからも変遷し続ける時を写し留めようと思う。



























撮影機材 Canon Powershot G12 (SS 1/30 ,  A F4 ,  ISO 400 , WB Auto)




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