太田川 2008/04/14

国土地理院 航空写真 整理番号 CKK-74-15 地図番号NI53-14-2 撮影コ−スC12 写真番号26の一部を切り取り画像処理を施した。
原図はこ ちら


ここは京都市の東を流れる鴨川、の出町柳近辺の河川敷である。
近くには叡山電鉄出町柳駅や 京阪電鉄の出町柳駅が あり洛東の交通要所となっている感の場所である。
時代的には叡山電鉄の方が先に開業しており、京阪電鉄は平成に入ってから漸くこの地に路線を延ばせたと言うところか。
その辺りはかなり複雑な事情があったらしい。
また、通りもかなりの大路小路が交わる場所であり、ややこしい一帯だ。
そんなところへと当日、私はとある撮影のために、この河川敷を北にひた走っていた。
鴨川の河川敷、別名”鴨川バイパス”時間帯にもよるが、出町柳から七条辺りまでであれば、自転車を走らせると15分を切ることもある高速ル−トであるが、 そんなスピ−ドを出すと歩行者にとっては危険なので、出さないように。

さて、今出川通りも越えたしもうじきだね。
更に速度を上げる私の自転車。

そうそう、この橋を越えて・・・

もうすぐだ。

この橋も・・・・・・・・・・
え”っ!!!!!
キキキキキィィィィィィィ!!!
(自転車のブレ−キ音)
何?!
今の何!?
か・・・・かわ・・・・!?。
河川ちゃ〜ん。
てか・・・聞いてないよ。
こんな所に河川があるなんて。
いきなり仕事の前に現れた川。
う−む・・・どうしてくれようか・・・。
先ず何という名前の河川なのか?・・・・。
What your name?
げ・・・旧書体だ・・・。
と思ったら何と年代が刻み込まれている。
”太田川 昭和七年七月 付替工事 竣工”
実に親切な銘板、ナイスです。
名前はおろか年代、さらには付け替えられたと言うことも記されてあるではないか。
この辺りの情報をもとにして調べている最中である、詳しいことが分かり次第、追記したいと思っている。
う−む・・・どうしよう・・・。

ちょっとだけよ〜ん。
少しだけ、わくわくしながら河床に降りた私の鼻に・・・臭うんだよ。
穴から・・・。
これ、河川じゃなく下水の排水溝になってるでしょ?。
しかも、穴の奥からはごぉぉぉぉぉ・・・・と言う水の音まで・・・。
正直・・・・あんまり入りたくないな・・・この穴。
・・・この高野川に接している部分は昔からのものかも知れないが、この暗渠部分は明らかに近世に造られた部分であろう。
こんな暗渠に入っていくのは旧天神川以来である。

・・・いつもの事ながら、いい雰囲気とは言い難い。
こういった暗渠は。
しかも、湿度が案外高いし、何というのか・・・空気の流れがあんまり感じられないんだよ。
その空気も、何というのか・・・ネトッ・・・と絡みついてくるような、そんな変な空気だから長居もしたくない。
高さ、巾共に2m程であろうか。空間が開いていても非常に狭く感じる。
妙な圧迫感のある穴。
それもそのはず、奥からはごぉぉぉぉぉぉ・・・・と言う水音が聞こえるから、精神的な圧迫感もかなりのものである。
いつ、その水がこの河床に溢れてくるか、知れたものではないのだ。
今は、写真のように中央部に、僅かに水が流れているだけが入り口に引っかかっていたゴミを見ると、増水時にはかなりの水量があるようだ。
・・・そんなおもっくるしい穴。
コンクリ−トの白さと先の見通せない闇の黒さが奇妙なコントラストを描いている。

10mも進まない内に水音が大きくなってきた。
おいおい・・・私、パンプスで来てるんだよ。
というか、仕事前だよ・・・・。
こんな所の水で靴下浸水なんてのは絶対にごめんだ。
まあ、仕事前であっても入ってしまったのは自己責任でして・・・。

20mも行かないうちに小さな広場になっていた。
これは・・・合流式だね・・・。
多分合流式と言う名前であっていたと思うが、間違っていればご指摘いただきたい。
普段は下水を流しているが、雨水などで下水の水位が増えるとそのままこういった河川に余水が流れ出すタイプのものである。
雨水分離式などに比べてコストが安くつくが、環境には最も優しくないだろう。
そもそも下水を流している我々が何とかしようという気を持たなければならない問題でもある。

右側が下水が流れている。左がおそらく、この太田川の流れであった流路・・・にしては屈曲がつきすぎてはいないか?。
明らかにこの方角だと向かっているのは、叡電出町柳駅方面だよ・・・。

下水に最接近と言うか、これで勘弁。
非常に音が大きくてこっちが軽く恐怖を感じるぐらいの水音。
水量もそこそこある。
こんな所にはまって流され出もしたら、永久に行方不明になりそう・・・。
いやほんと、しゃれになってないよ。
 右に見える円形のコンクリ−ト管に行きたいのだが・・・・足場がかなり悪い。
ヘドロ状のものが床を覆っており、この靴では無理、と判断した。

撤収開始。
何故かほっとした瞬間。
出口が近いと安心するね。
こんなに光が暖かくてまぶしいものだったとは・・・。
太田川 昭和七年七月に付替工事が行わた河川。
暗渠化はその時に行われたのか、それすら定かではない。
個人で調べてはいるが、その情報量にも、調べる時間にも限界がある。
よって、ここは皆さんの情報提供をお願いしたい。
何かこの河川の情報をお持ちの方、ぜひブログにお寄せいただきたい。
どんな些細な情報でも結構です。
よろしくお願いいたします。

太田川・未完

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