秘密工場跡    2007.7.23
ここはどこかを明かすことは出来ませんが、とりあえず信夫山某所とさせてください。
この山には山岳信仰の行場跡や神社、公園等が有りますが、これから紹介するのは、信夫山の負の面です。
 かつてこの山には戦時中に巨大な地下工場が築かれたという事実があります。
それは東京にあった中島飛行機武蔵製作所のエンジン製造工場の一部を緊急に疎開させるになり軍部とも協議の上に信夫山が選定されて山根工場、金龍工場とし て1945年3月1日頃から工事が開始されたようです。

 二期に別れた工事は第一期工事は信夫山の西側に地下工場が掘削されて、工場名は”第一軍需工廠第十一製造廠第二〇二支廠”と名付けられました。
信夫山地下工場では中島飛行機が世界に誇っていた各種軍用機用飛行機エンジンの製造を目的として疎開し、その全体計画は三五五〇〇〇平方フィ−トだったよ うです。

 このうち西側の山根工場と金龍工場の一部を掘削、約一〇〇〇〇〇平方フィ−トを実現した段階で日本の敗戦を向かえて工事は中止になったようです。
そして、このような大規模な地下工場を建設するためには大量の労働者が必要になり、その主力は朝鮮人であったと言われています。(朝鮮人強制労働者の証言 と、その事実より、一部引用)
(ただし、実際に強制労働があったという報告は入っていないそうです。)
金龍工場の今の姿をさわり程度、お伝えします。



上の画像の先です。
このように山の中にある平場はある種何らかの手が加わらない限りなかなか出現しないものだと聞いていますので、ここは恐らく人間が手を加 えたのでしょう。
 また、人力トロッコ列車を使ったという記述も見つけました。
確かにこの傾斜の緩さならあり得ないとは言えない、と思えます。
  平場の右側を見ると・・ ・立て看板が・・・。


  危険
このふきんはあぶないの で、ちか よらないで ください。                    福島市

ばっちり警告です。
しかもわかりやすいようにひらがなを中心とした言葉で書いてあり、小学生でも危ないというのは分かるでしょう。
そしてその奥には・・・。

このようなコンクリ−トで塞がれた坑口が有ります。
高さは1m、幅は1.5m程度。
但し完全にコンクリ−トで閉塞しているので内部の状況は解りません。


平場を奥に進むと、巨大な岩塊が姿を現します。
少なくとも、平場に巨大な岩塊、違和感が少しあります。
その岩塊の脇を直登する小径があり、それを辿る と・・・。

再びコンクリ−トで閉塞させてある坑口に行き当たります。
ですが・・・こちらの坑口には穴が空いており中の様子を窺うことが出来ました。
内部はかなり奥行きがありそうです。
側面はそのまんま素堀で、地肌が顔を覗かせていました。
 何より驚いたのは、この穴からかなりの勢いで空気が流入しているのです。
どれ程かと言われれば、水で濡らした手を穴にかざすと直ぐに手がかなり冷たくなるぐらい。
 と言うことは、どこかに通洞しているのは確実ですし、内部がある種の負圧状態になっているのでしょうか?。
とにかく内部には立ち入れませんでしたが、その存在自体は確認できました。
そしてそこから50m前後斜面を登ったところに恐らく坑口で有ったであろう、穴の跡を見つけることが出来ました。今回はコンクリ−トも何もしてありません でしたが、残念ながら入り口付近で水没、崩落しており、立ち入ることは不可能でした。



山根工場

その後で山根工場の坑口を探しにいきましたが、あっさりと発見できました。
しかし・・・明らかに私有地内ですので、写真の公開は控えさせていただきます。
ただ、コンクリ−トで封印されているから良いものの、問題は下手をすれば道から5分以内で行けてしまう場所もあるんです。
よって、福島市にはより一層、厳格な監視、と補修をお願いしたいです。


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